相互理解の難しさ
2004-10-04
この夏、NHKで「千葉県勝浦のゾウの楽園」オープン準備につき、女性動物園長の心温まる「ゾウの終の住処」作りとして放映されました。
所が、私が聞き及んだ範囲では、ゾウの墓場作りを見世物にするあくどい商法とする見方と、NPO活動かボランティアの善意と賞賛する見方に二分されています。考えて見ますと、中立性をモットーにするNHK,「私企業」である動物園の入園料予定等、個別のケースには触れられません。終の住処強調・美化がビジネスの面を見難くし、誤解や曲解を招く一原因になったことも否めないと思われます。しかし、当の園長の開園挨拶では、「それは高齢のぞうさんたちに豊かな時間を過ごしてもらうためのあるがままの自然の姿です。――訪れた人々はぞうさんの背中に乗り、ゾウ使いをお供に山道を自由に歩いてもらう。」と述べています。つまり、いつ死ぬか判らぬゾウの死を客寄せにする経営方針は、無理だし頭にないが、採算を度外視するわけにも行かない。終の住処の目的は「高齢のゾウが余生を自然の中で、安心して過ごせる楽園の実現・ビジネス化への挑戦」ということになります。
私はこれを通じ、「客観的認識・相互理解の難しさ」と「動物と人間の関係のあり方」を考えずにはいられませんでした。旭川の旭山動物園で、動物の生態に即して大改造したら、動物は生き生きとし、入園者数も上野動物園を越えたとか。残念ですが、人間のパラダイスを神や仏にお願いするわけには行きません。煩悩具足の凡夫は、「お互いが安心して暮らせる自利利他の心がけ」が、救済になるのでしょうか。
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