この一年を顧みて。
                                                  2006-12-29
私にとって今年の最大の出来事は、「兄の死」であった。
兄は1月24日に77歳をもってこの世を去ったが、終末の略2ヶ月間は意識も失い回復の見込みは絶望的だったが、それでも一日でも長くを願って延命治療を施した様子だった。そのせいで容態急変の知らせを受けて駆けつけたが、既に反応はなく心残りがこの上なかった。その場に直面し、生命維持装置の発見を巡っての、安楽死や尊厳死(脳幹の死)の問題を思わずにはいられなかった。そして、本人がたとえ生前に延命だけの人工呼吸器による治療を拒否していても、周りの人達が果たしてストレートにそれを受け容れたか問題で、死に方への意志も自分が意識を喪失すれば、自分一存では決められない人間の死の個人性と社会性の複雑さをも感じた。
そこで、心残りの気持を、弟から見た兄の生きる最大の目的は、何であったかを問うことに切換えた。兄と私との年齢差は僅か二つ違いであったが、私達は幼い頃から弟は兄を目上の人として立て、兄は弟をかばうとする家父長的躾が、極度に刷り込まれた時代だった。兄は私が中学生時代までその典型で、面倒見この上なしの尊敬すべき兄であった。その上、兄は長男なので、森谷家の「イエ」の世襲・長子相続制の特権と親の扶養義務の責任ある立場にあった。所が、この家制度は敗戦後の民法改正で廃止され、兄弟姉妹は平等となり、個人主義尊重の核家族が主流となった。兄も時代に適応して日本的人間関係の近代化を目指し、時には親に反対してでも我が意志を通した事実もあった。しかし、所詮この民法改正はアメリカのイミテーションだったので、実質的には法と現実が乖離し、世襲の伝統は磐石たる重みを持ち続けた。結局、兄は「イエ相続」のため、父親が創業の中小企業のオーナー兼トップの座を自らの意志で引き受けた。ただ、兄にとって問題なのは正にこの民法改正で、個人資産を保証までさせられる難しい経営や親との同居や介護を背負うのが長男の自分だけで、財産分割が平等とあっては、かえって改悪で、とても間尺に合わないというのがホンネであった。つまり、兄は近代化の精神は頭で理解出来ても、現実問題としては世襲の遺風と闘うことはデメリットでしかなくなったことを身体で実感したと言えよう。戦後の解放は個の解放でなくエゴの解放の徹底であるから、かえって幼年時代に刷り込まれた超自我の秩序に戻りたくなったのだろうか。
これを要すれば、兄の生涯の基本は「家督相続」にあり、伝統社会の規範に生きる事が、主たる目的になったということになる。その点、「日本の家は、一般の思い込みとは裏腹に、恐ろしく血縁性の原理が稀薄であり、血の意識が弱い。」との説は正鵠を射ている。本来なら「兄弟は他人の始まり」つまり、血よりお家大切から、言葉は同じ兄弟でも、仲良くのシンボルとしての「人類皆兄弟」に克服すべきだろうが、それには私達の「独立互恵の精神」の自覚が必要不可欠な条件になると思われる。                          
以上                             
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