生と死の意味について
 
これまで生きて来て一番の悩みは、「なぜ生まれ、どうして死ぬのか」の疑問がなお続く事です。
始めである生も終りである死も、自分の自由意志でなく偶然で、生まれたくて生まれたわけでなく、死にたくて死ぬわけでもありません。全く非合理な自然の掟に見えます。それでも私達人間は「意味」を求めないではいられない存在なので、あれこれ「物語」を創り出します。
その例に「人間は遺伝子を残す。でももうひとつ、文化情報の伝達を残すためにも、生きている。」との説があります。成る程と感心するものの、生物学的文化的原理だけでは、どうも納得して死ねそうにありません。それより「禁じられた知恵の木の実を食べた」我々近代人は、それ自体「意味を持たない世界生起」に対し、意味・と意義を与えねばならないという宿命説にむしろ傾きます。
この人類永遠の謎に取り憑かれたのも、人間を超える絶対の存在を相対化し、神に代わったと自惚れた近代人の代償、ニヒリズムなのでしょうか。                                                                                                                                    2003-11-17
                                                                        

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