生まれつきについて

生まれつきの不平等を不平等と言わずして、何をもって不平等と見なすべきでしょうか。
人生の行方はどう見ても、この不平等に大きく左右されているからです。そのため私達大多数はハンディと諦めながらも、競争社会裡で割切れない気持を持って過ごし勝ちです。
そもそも素質の問題は、自分の意志や責任次第でどうにかなるものではなく、自然の厳しい掟によるものです。にも拘わらず私達は、競争の機会均等が進歩を促すとして、ハンディの直視を二の次にしています。優れた人間が、「人の上」に立つて当然とする競争社会の基準・原理が背景にあるからでしょう。しかし、素質の良さは、使い方次第で善悪諸刃の剣となります。とすれば天は逆に人間が、平等をどこまで達成出来るかを試すために、不平等を与えたのかも知れません。 
もし私達の手でこれの解決策があるとすれば、素質に恵まれた者が、自分の「良さ」は自助努力の賜ではなく、偶然に過ぎないと自覚して、自他共存のため力を貸す事でしょう。同時に大多数の民衆も、「優秀であるだけ」をもって人の上におくのではなく、我々の為に優秀さを生かす人物こそ尊敬するに値すると、頭を切り替えるべきでしょう。つまり「ノブレス・オーブリージュ」強者の弱者への義務の生活倫理が、能力差を越え「自分が自分である」というだけで誇りを持てる、そんな本来あるべき自由で平等な社会作りに力するのではないでしょうか。
2003-12-15

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